50代を迎えて、自分にとっての「本物」に近づきたい。
そんな想いが、日ごとに強くなっていきました。
人生の前半では、どこかで他人から見た幸せを本当の幸せと勘違いし、
誰かの正解に自分を合わせながら生きていた部分もあった気がします。
でも、もう重くなってきました。
いい仕事、社交的で明るい性格、裕福な生活、誇れるキャリア。
——でも、あるときふと立ち止まって、自分に問いかけたんです。
「わたし、それ、本当に望んでる?」
そりゃ、そんな人素敵だな、すごいなって思いますよ。
頂けるなら貰いたい(笑)
でも、それと同時に、それは私の奥底からの望みではないみたい、とも感じます。
だからこれからは、
玉ねぎの皮を剥くように、自分用じゃないものを一枚ずつ手放していきたい。
そして最後に残った「これが私」を、本物と呼ぼうと思います。
50代で、ある日本酒に出会いました。
それまでずっとワイン派だった私が、なぜか手に取ったその一杯。
“綺麗だなぁ。澄んでるなぁ。”
眺めて嬉しい気持ちになり、飲んだ瞬間、恋に落ちました(笑)
「そっか、全部ここにあったんだぁ」って、満たされたんです。
ちょうどその少し前から、
“今この瞬間に在る”という感覚を探し始めていて、
シャワーの温度を感じてみる、風が肌に触れるのを意識してみる、鳥の声に耳を傾ける——
そんな小さな練習をしていた時期でした。
その日本酒が、
答えに辿り着く“入り口”をそっと教えてくれたような気がしています。
まだその扉を開けたばかりで、答えにたどり着いたわけではありませんが、
このブログは、その“先”を見つけにいく旅でもあります。
その後、生酛仕込みの日本酒についての本を読みました。
背景を知ってから飲む日本酒は、さらなる深みがありました。
そしてふと思ったんです。
「この一本に、人生で大切なすべてが入ってるじゃん…」
ちょっとドラマみたいな言い方だけど、本気でそう思いました。
私の心からの望みはここにあったんだ。。そっか、整いたかったんだ。。
一所懸命に打ち込むというより、
ちゃんと素材に向き合って、手放して、自然にゆだねて、育まれていくような——
今この瞬間にある幸せを、全身で味わうような。
そんな在り方で。
ふと振り返ると、そんな感覚は、昔の記憶の中にもちゃんとあったなと思います。
ある夏の蒸し暑い日。
夕方に吹いた涼しい風を感じながら飲んだアイスコーヒーが、体を冷やしてくれる心地よさ。
雨の匂いが漂う午後に食べた、おにぎりの海苔の香り。
友達とケンカした日の夜、重たい気持ちで食べ始めた鍋料理。
湯気に囲まれ、家族と喋って、食べ終わる頃にはもう癒されていたこと。
祖母と母が毎年漬けていた梅酒の記憶。
日に日に氷砂糖が溶けて、梅酒の液体が増えていく姿を眺めていた。
ボウル持参で豆腐を買いに行き、野菜は新聞紙に包んでもらっていたあの頃。
昭和の八百屋のトマトは、青臭くて、ちゃんと“土”の香りがしていた。
トマトは青臭いものだと思っていた。
野菜を洗うと中から青虫が出てきて、母が悲鳴をあげていた。
あんなふうに、人と自然がすぐそばにあった時代。
食べものには、記憶が詰まっている。
ただの味じゃなくて、空気も、感情も、気配も、一緒に溶け込んでいると思います。
もちろん、今は「便利」という宝物を手に入れました。
でも、その便利さの裏で、どこかで疲れ始めている気がします。
地球も、私たち自身も。
このブログでは:
日々の暮らしの中で「整ったな」と感じた瞬間を、短くても素直に綴っていきます。
その中に、私の心が動いた調味料や日本酒、ナチュラルワインをご紹介します。
興味を持ってくださった方には、記事内から少しだけ深堀りした紹介ページにご案内しています。
(素材、作り方、歴史などを、私なりの視点で)
また、日本酒や発酵、自然素材など、
少しマニアックで、でもどこか温かい読みものたちも、この場所でゆっくり育てていこうと思っています。
もちろん、大手の商品にも意味はあると思います。
でも、私が惹かれるのは、
顔が見える誰かが、時間をかけて丁寧に仕込んだ、小さな本物たち。
その背後には、自然との対話や、誠実なリズム、
“任せて、待って、見守る”という本来の自然との共生の力が宿っています。
だから、
自分が感動した瞬間や、日常のなかでふっと整った記憶をすくい上げながら、
その背景にある「手仕事」と「素材のエネルギー」を、丁寧に伝えていきたいと思っています。
最近、ようやく気づいたことがあります。
自分の中の“本物”に触れると、心が喜ぶのがわかること。
逆に、外側からの「幸せ」や「正解」を取り込もうとすると、
心がぎゅっと苦しくなることもある、ということ。
だからこれからは、
心が本当に喜ぶものだけを選んでいきたいと思っています。
そのためには、まず自分を整えることを大切にしたい。
心のセンサーがちゃんと働くように、
ちゃんと“今”にいること。
心がざわついていると、
そのセンサーが発動しても、きっと気づけないから。
ゆるく軸にしていることは:
- 丁寧につくられたものを、丁寧に受け取り、使うこと
- そのプロセスを通して、自分の輪郭を取り戻していくこと
- そして、子どもたちにも、心が温かくなる記憶を手渡していくこと
まずは、
暮らしの中で心がふるえたものたちを通して、言葉と時間を届けていきたいと思っています。
どうぞ、ここがあなたにとっても、
“少し整う”居場所になれますように。
そして私も、ここで少しずつ、自分に還っていけたらと思っています。